漫画界の鬼才、『永井豪』氏描いたダークヒーローの原点ともいえる『デビルマン』
原作漫画はたったの5巻でありながら、アニメなどのメディア展開はもちろんのこと、その練りこまれた世界観と人の狂気を真っ向から描いた秀逸な内容も相まって、漫画の歴史に名を残す有名な作品のひとつとなりました。
ところでデビルマンといえば、大抵の人はアニメ版の古臭いヒーローらしいあのデビルマンを思い浮かべるのではないだろうか。
「へんしーん!」の掛け声と共にパンツを穿いた変な悪魔になって戦ったアニメ版……はっきり言ってあれのせいでデビルマンが幼稚な作品だという先入観を植え付けられるに至ったわけですね。(きっと永井先生もさぞ迷惑だったでしょう)
アニメ版のくだらない話はさておき、皆さんはデビルマンの原作をご覧になったことがお有りだろうか?
もし無いのであれば、ぜひとも一読してみることをおすすめする。
サブカルチャーが好きで、アニメ漫画問わず様々な作品を考察をしてきた僕ですが、このデビルマンだけは度肝を抜かれた。
かつて5巻でこれほどまで読者に衝撃を与える作品が他にあっただろうか、起承転結全てを綺麗に纏め終えた作品があっただろうか、読んだ人間に色んなことを訴えかける作品があっただろうか。
以下では原作漫画からデビルマンの衝撃的な3大シーンを画像と共にピックアップしてみた。
ネタバレになってしまうが、このデビルマンという作品自体に興味を持ってもらうには十分過ぎるシーンだと思う。
タイトルの通り、バッドエンドが嫌いな人はトラウマになりかねませんのでご注意を。
子供、家族、ヒロイン、主要人物全員が……
終盤にもつれ込むにつれ、主人公デビルマンの敵はもはやデーモンだけでは無くなっていく。それは、デビルマンを恐れる人間たち。
デビルマンの存在が世に浸透するにつれ、人間は徐々に恐怖から狂った暴動を起こすようになる。
それは、デビルマンがいずれ人間を滅ぼすのではないかという強迫観念、はたまた群集心理からか。
最後には主人公、デビルマンの家族である主要人物たちにその怒りの矛先は向けられた。
もはや悪魔以上に狂った感情をむき出しにするただの人間たち……その表情に人間だった面影は無い。
まともな人間であるヒロインたちには、悪魔の集団になすすべも無かった。(上記画像)
敵は悪魔だけ・人間という悪魔も含め……
家族は全員やられた……。
人間のために戦ってきたデビルマンの敵は、もはや悪魔だけではなかった。
人間の皮を被った悪魔、つまり、人間。
憎悪・怒り・悲しみ……全ての感情をむき出しに、デビルマンは『悪魔』と『人間』を滅ぼすことを決意。
その先に何が待っているのかも知らず、一体自分が何を求めているのかも理解できずに。
一人生き残ったデビルマンが戦うのは、もう正義のためなどではなかった。
自分の憎しみを、怒りを静めるため。
真の悪魔は人間であることを知らなかった報いか、はたまた人の心に可能性を期待した報いなのか。
一体誰が正義で、誰が悪なのか……それは結末に明かされる。(上記画像)
主人公死亡・最悪のバッドエンドへ
デビルマンは、己のために『悪魔』と『人間』に戦いを挑む。
そして何年もの月日が流れた……。
主人公、不動明は事切れていた。
悪魔とデビルマンの戦いは、悪魔の勝利だった。
人間は死に絶え、デビルマンは死に、本物の悪魔だけが生き残った。
地球には悪魔が我がもの顔ではびこる……そう、かつての人間のように。
悪魔の王であるサタンは、デビルマンの遺体の横で寝転がり、怨嗟の声を吐いた。
自分達が行ったことは、ただ人間と同じように自分より弱いものをいたぶってその命を奪っただけだと。
悪魔が人間にしたことも、人間が動物にしたことと同じだと。
おろかなのは、悪魔も同じだったと。
結局、この世に正義は無かった、正しいことなどひとつも無かったのだ。
サタンはデビルマンの遺体に近づき、涙を流す。
全ての責務から開放されたデビルマンの死に顔は、とても穏やかだった……。(上記画像)
かいつまんだとはいえ、この内容を見てあなたはどう感じただろう。
特筆すべきは、このようなシーンが2ページに1つの割合でストーリー内に組み込まれているところだ。
言葉では言い表せない、心の奥底にくる何かを感じさせられる作品、もはやこれは漫画といえるだろうか。一種の哲学本とみても差しつかえないと思う。
解決しない疑問や正義というものに目を向けてみたい方は、一度この漫画を読破してみることをおすすめする。
とことんリアルで、とことんまで狂気、デビルマンとは『人間』というものを赤裸々に書いた漫画なのだ。