学校の義務教育ほど馬鹿らしくて残酷なものはこの世に無い

今朝、何の気なしにヤフーニュースをチェックすると、そこにはこんな記事が。

『担任教師のいじめにより、中学3年生の子が自らの手で命を絶つ……』

 

はい、思わず目を疑いました。

同級生でなく担任が?

大学を経て、地方公務員として就職をしたいい大人が?

こともあろうか中学生を?

 

……いやぁ、世も末ですね。

 

世の中では、『いじめ撲滅』だの『担任いじめの抑止』だの『登校拒否への対応』だのと綺麗事と現実を照らし合わせて建前上騒いじゃいるが、僕としてはそのこと自体くだらないし馬鹿じゃなかろうかと思う。

 

十人十色の人間を集団社会なんて檻に無理やり投入していること自体で危ういのに、そこからヒビを取り除こうなんて無謀も良いところだ。

亀裂をしてはそこを補い、また他が亀裂してはそこを補い……。

 

つまり、そもそもの論点はそこではない。

全ての元凶である『義務教育』こそ、最大の論点にして見直すべきなによりの対象ではないのか。

 

義務教育という制度は、上記で述べたような正に矛盾した挙句同じようなイタチごっこをただ延々と繰り返しているのである。

こんなわけの分からない制度で人生潰される子供たちはたまったもんじゃないと思う。

 

今回は『義務教育』の持つ『義務』という責務の危険さと、本当の意味での『教育』についてただ赤裸々に綴っていきたいと思う。

とは言いましても、綺麗ごとや精神論は一切挟まないうえに僕自身ややこしい話は大嫌いですので、簡単に率直な意見でサラサラと書いております。

同じように疑問を持っている方はぜひ最後まで見ていってください。

 

まず、人間にとって『責任の無い義務』ほど破りやすく楽しいものはない。

 

これは人間の心理として、ごく初歩的で当たり前のことなんです。

浦島太郎の玉手箱、パンドラの箱、アダムとイヴの禁断の果実……ETC

今にも禁忌を破るであろう好奇心と背徳感を楽しんでいる人間の神話が枚挙にいとまがなくたくさん残されているように、まさにその通りというわけです。

 

人間にとって、やってはいけないと言われることを破ることほど楽しい快感は無い。

また、無理やり押し付けられた義務ほどうざったいものは無い。

 

あまつさえ、その義務が『社会の責任』などの重いものではなく、『いつなんどき捨てても許されるような軽い責任』であればどうだろうか。

 

更に、何をしても子供だからと許され。(少年法)

何をしても、人を陥れても誰にもとがめられないし罪にもならない。

これをポイっと捨てるだけで快感が得られるわけですよ。

 

そりゃいじめなんて無くならないし、担任いじめのボイコットも起こりますよ。

だって、何をしても許されるんですから。

 

義務教育の義務は、決して社会で生きる立派な大人な持つような、重い責任などでも十字架などでもない。

悪ガキどもにとって、いざという時は自分たちの身を擁護してくれ、またいざという時は放棄し、またいざという時はどんな罪でも正当化できるこれ以上ないくらいとても便利な権利なのである。

 

これには治外法権を認めさせたアメリカ人もさぞびっくりすることでしょう。

関税自主権の無かった当時の日本も、まだマシだと胸をなでおろしたことでしょう。

 

こんな水戸黄門も驚きの『印籠』を振りかざせば、いじめも暴力も犯罪も、それは楽にできることでしょうね。

これのどこが『義務』なのか、むしろこちらが教えてほしいくらいです。

 

教育?勉強なんか教える前にまずは人間としての一般常識を教えなきゃ

 

お次はご存知、『教育』です。

15歳になるまで、一通りの学びを叩き込むわけですね。

これが義務教育の第一の目的であり、義務教育が無いと頭の悪い子たちがたくさん増えて社会が成り立たなくなる……と、ここまでが義務教育が必要と言われるテンプレートな所以。

 

僕はこう思います。

「大丈夫だよ、一部の人間は学んでも学ばなくても底辺部分なんだから放っておいても変わりはしないよ」と。

 

だって、一般常識もろくに分からないような人間にいったい何を教えるんです。

何を教えても「のれんに腕押し」、「馬の耳に念仏」ですよ。

そういった連中が上記で述べたような『義務教育』の印籠を掲げてバカなことをして周りに迷惑をかけるわけです。

 

そもそも、勉強なんてものは無理やり押し付けるものでも無ければそれで身につくものでも無い。

自主的に進んで行い、疑問を自分で理解して初めて身につくものです。

それを後押ししてあげるのが教員の仕事ってだけの話。

 

本当の意味での教育とは、自分で悩んで学ぶこと。

教師は、それを後押し。

全ては一般常識という人間として当たり前のことを教師と生徒がお互いにしっかりと学んでいれば、何の問題も起こらないんですね。

 

そもそも、義務なんて無くても社会で生き抜くために知識が必要だと思った子は、塾でもなんでも通って勉学に勤しむ。

また、その子の親がそう仕向ける。

 

それにすら気づけない子、また放任主義と偽った育児放棄をこれ見よがしに誇るような大人チルドレンには、何を言っても無駄。

 

『義務』も『教育』も無く、個人の人生の責任は全て個人に。

まさに無駄な労力を省いた合理的な社会になると思う。

良い子は誰も損しない。

 

結論:そもそも、『義務教育』って誰得なんだ?

 

『義務』は学校社会で何をやっても罪にならないかつ、自分を擁護することもできる便利な権利。

『教育』は、まともな子供と一般常識のない奴を無理やり同じ檻に閉じ込めて一般常識のない子供にただひたすらのれんに腕押しを繰り返すだけの制度。

 

こんなのが合わさった『学校』なんて場所に亀裂が出ないはずないだろう。

いじめも起こるよ、何をやっても許されるんだから。

教師いじめも起こるよ、権利を主張されたらどうしようもないんだから。

登校拒否児も出てくるよ、こんな場所で生きるためにも自分も同じ穴のむじなにならなきゃダメなんだから。

 

結局総合してみると、『義務教育』なんてものは良識を持った子供や大人がとことん損をし、一般常識のない教育を受けても受けなくても変わらないような腐ったミカンがとことんまで得をするおぞましい制度に思える。

 

時代が移り変わってきた今では、もはや昔は当たり前と言われていたことが当たり前では無くなってきている。

挨拶は基本、と昔言われていた常識が、現代ではちゃんと挨拶をできる人のほうが珍しい。

 

街角などでぶつかっても、すいませんと自ら言える人間はもはや絶滅危惧種当然だ。

 

このように時代そのものや人間の価値観が移り変わってきた今、いまだ旧態依然とし続けている『義務教育』という制度は、一度改善の余地があるのではなかろうか。

 

いや、言葉は悪いが、いっそのこと『義務教育』自体を破棄してもさして問題ではないと思う。

 

学び舎が学校しか無かった過去とは違い、今では塾に学研、くもんに通信教育など数えきれないほどの勉強できる場所が無数に存在する。

 

学校の一番の目的であった『勉強』は今や役割そのものが衰退し、徐々になりを潜めつつある。

一部の大人は『学校は友達作りと空気を読む力を付けるために行く場所』と何食わぬ顔で堂々と言い放つ始末である。

 

小学生や中学のころに出来た友達同士が大人になっても一緒にいるというのは限りなく少ない例だと思うが。

義務教育を受けている頃にできる友達は、せいぜい暇つぶしのお仲間程度である。

社会に出て出来た友人は資産となるが、子供の頃にできた友人が後々の役に立つとは思えない。

 

空気を読む力は、習い事などの集団に属する行事に参加していれば十分だろう。

 

と、『義務教育』に関する僕なりの持論を熱く語ってみました。

もはや義務教育って、合ったほうが迷惑で頭の悪い子を増やすシステムだと常々思っております。

 

しがないブロガーのどうしようもない独り言ですが、少しでも共感してくださった方がいてくだされば嬉しいなぁ。

政治家の皆さん、誰でもいいから一度義務教育の存在の有無について深く考えて切り込んでくださいませんかね。

若い良い子たちが枕を濡らすしかない現状、挙句の果てには命を散らすさまなんて、これ以上見たくありませんよ。

大人として、もっと真剣に考えてほしいです。

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