突然ふと記憶に蘇ったので、とりあえず詳しく書いていこうと思います。
ものすごく胸糞悪いことをただ赤裸々に書いていくので、そういう話が苦手な人は注意してください。
また、今回お話しするのは僕が実際に体験した『実話』です。
明確に年齢は明かせませんが僕はまだまだ若造なので、小学生の頃の話といってもそこまで昔の話ではありません。
現代の小学生というのはもはやこんなものだということをご理解頂けるのではと思います。
人が『人間社会』という毒で狂いだすのは、恐らく8歳くらいの頃からではないでしょうか。
リアルで残酷ですが、これが現実です↓
僕が実際に体験した、現代の小学生の実状
僕は小学生6年生の頃、ある一人の同級生から陰湿極まりない『いじめ』を受けました。
筆箱をゴミ箱に捨てられたり、ランドセルに砂をつめられたり、机を教室の外に放り出されたり……。
しかもそれを目の前でやるんじゃないんです。
僕が見ていないところでそういった真似をするので、犯人がそいつだという確証が無いんですよ。
他の同級生が見ているんじゃないか?
ええ、恐らくそうでしょうね、しかし、誰に聞いても知らないっていうんですよ。
理由は簡単、そいつからの復讐が怖いからです。
そいつの身長は小学生にも関わらず当時で175センチ以上あり、その高身長から誰もそいつに逆らったりしないわけです。
だからね、証拠が何も無いんですよ。
先生に相談しても、『その子がやった確証が無いから』とかうんたらかんたら屁理屈こねてろくに向き合ってもくれないんです。
その理由は、僕は小学生ながら理解していました。
……担任の先生も、そいつとクラス全員にいじめられるのが怖かったんです。
過去に一度だけ先生がそいつを叱った際、チョークを隠されたり教師用のイスを分解されたりと1ヶ月近くに渡って『クラス全体からのいじめ』を先生が受けていたことがあったんです。
だからね、きっと怖かったんだと思いますよ。
今向いている『いじめ』という僕への矢先が、また再び自分に向けられることが。
給食が終わってお昼休みの時間になると、そいつを中心にいつも『すごろく』が始まるんですよ。
『六代(僕の名前)すごろく』という、楽しい楽しいクラス全員の催しがね。
ルールは簡単、マスに止まった人間は僕の悪口を歌うんですよ。
『孤児』だの『貧乏』だの『くさい』だのとね。
クラス全員の言い分はこうです、「キャラクターの名前が同じだけで、お前のことを言っているわけではない」と。
耐えられなくなった僕はクラスの数人に、こっそり「やめてほしい」と頼んでみたんです。
すると、すごろくが始まる前にニヤニヤしながらそいつらがこういうんです。
『もうこんなのやめようよ(笑)』と、それはもう満面の笑みでね。
その楽しそうで、本心では『面白いからもっとやろう』っていう魂胆が見え見えのあの笑顔は、今でも僕の脳裏に焼きついて離れません。
クラスの生徒は誰も信用できない……友達さえも。いや、その頃にはもう『友達』なんていなくなっていたのだろう。
このことについても先生はね、それを見ているくせに、知っているくせにずっと黙認するんです。
僕が相談しに言っても『へぇ、そんなことやってるんだ、今度注意しとくよ』ってとぼけた顔でいけしゃーしゃーと。
ほんとは知っているくせに。
結局卒業する日までただの一度も注意してくれませんでしたけど。
あの時……嫌というほど思い知りましたね、人間の汚さを。
そもそものいじめのきっかけは?
これもね、ほんと思い出したくも無いんですけど。
……いじめられている友達を庇ったんです、僕が。
上記に書いた話のように、あくまで僕が体験した『いじめ』は陰湿でメンタル的なものであって直接殴られたとかは一度も無いんです。
なぜか?
簡単です、自分で言うのもなんですが、僕は腕っ節には相当な自信があったからです。
当時はかなりいい体格をしてましたし、直接的に喧嘩をふっかけてくるようであればタイマンなら返り討ちにできる自信もありました。
だから、友達がいじめを受けているのが見過ごせなくて、そいつから庇ってあげたんです。
今思えば、あれが僕が一生のトラウマを抱えるきっかけだったんですね。
たちまちそいつの怒りを買い、上記に書いた地獄のはじまりです。
いじめていたそいつは、僕のことが余計に気に入らなかったんじゃないんですか。
直接喧嘩すれば返り討ちに遭う、言いなりにもならない、だから精神的に追い詰めてやろうってね。
ほんと、卑怯なやつばかりですよ。一人じゃ何もできないくせに。
……ん?僕がいじめから庇った友人はどうしたのか?
えっとね、影でこう言ってたらしいですよ。
『怒り狂って暴力をふるったあいつ(僕)がバカなんだ』って。ちなみにクラスの奴らも声をそろえて全員。
僕が庇ってあげたことに何の感謝もしていないし、後ろめたさも無かったようです。
利用できて良かったって思ってたんじゃないですか。
あの事件以来話しかけても、そっけなかったですしね。
僕が生きてく上において、『友情』なんてものに1円の価値もないと判断するに至ったきっかけです。
月日は流れ、そいつは新聞に載っていた
いつも通り新聞に目を通していたとある日、僕は自分の目を疑った。
忘れたくても忘れられない名前が、小さな記事でありながらもしっかりと記載されていたのだ。
『ひき逃げの男を逮捕』という記事に添えられて。
事件の詳細を読むと、なんでも無免許でバイクに乗り、信号を無視してひき逃げをしたとか。
……僕は思いましたね。
人って、良い意味で変わる奴なんてほんとにいないんだなぁと。
良識人にできることは、これ以上クズにならないようにすることだけなんだぁと。
人の性格が変わるのは、いつだって悪いほうにですよ、きっと。
……あと、これは兄から聞いた話ですが。
そいつは刑務所から出た後も、ひき逃げをしたことを嬉々として自慢していたそうです。
……これが僕が体験したこの事件の全てです。
最後に、僕の感想とこれを読んでくださったあなたに一言
とりあえず、自分にかけてあげたい言葉はただ一言です。
『お疲れ様』
あんな狂人に対してまともに向き合い、まともに話そうとしたバカで勇気のある自分に、今はお疲れ様という言葉をかけてあげたい。
この事件を知り、過去の自分が少し救われたような気がします。
心の傷とトラウマは一生消えないですけどね……。
そして、この記事をここまで読んでくださったあなたにこれだけはお伝えしたい。
人の言葉や話を聞くのは大切です、価値観は人によって違うのだから。
しかし、まともではない人間に対してまともに向き合あおうとするのは時間の無駄です。
腐ったみかんに後でいくら水をかけても、元には戻らないでしょう?
つまり、そういうことなんです。
強くなりたい、変わりたいという気持ちは大切です。
弱い自分に言い訳している人間より、はるかにいい。
しかし、そのきっかけは必ず『自分』のためにしてください。
『まともではない狂人』と向き合うために『強くなりたい』と思うのは、そいつのフィールドで戦っているのと同等です。
そんな奴相手にわざわざあなたが合わせることは無い。
自分のために、自分の人生のために、強くなってください。
腐ったみかんに対してあなたができることは、あなた自身がそれ以上腐らないようにすることだけです。
こんな話を最後まで聞いてくださり、ありがとうございました。