モンテッソーリ教育の前にまずは子供に常識や礼儀を教えろって話

藤井聡太くんが有名になったことにより、世の中に急速に広まったその名も『モンテッソーリ教育』。

 

モンテッソーリ教育とは、早いはなし自主性を重んじる教育法のことです。

つまり、子供が興味を持ったことはとことんまでさせてあげるという子供の意思を尊重するのびのびとした素晴らしい教育とか。

 

かのビルゲイツもこれにより育てられたという、正に天才を生み出す教育方針としてママさんたちの間では話題になりつつあるようです。

 

藤井くんのような天才を目指してこの教育法を導入する保育園や幼稚園、親御さんたちが増えつつある今だからこそ声を大きくしてはっきりと言いたい。

 

親達よ、モンテッソーリ教育の前にまずは子供に常識を教えなさいと。

 

『天才』と『良い子』を勘違いしてない?

 

まず初めに言いたいのはこれ。

モンテッソーリ教育法で育てられた藤井聡太くんの見習うべき点は、天才とかじゃなくあのマナーと言葉遣いの良さだよ。

 

謙遜する心、相手を敬う気持ち、丁寧な言葉遣い、天才である部分以前に見習うべき点がいくらでもあるでしょうに。

 

例え天才でも常識や礼儀が全く無ければ世間では良い顔なんてされません。

彼があれほど周りのファンを惹き付けて離さないのは、彼の将棋の腕はもちろんのこと、一番の理由は彼自身の人柄。

 

藤井聡太くんが天才だと言われる所以は、中学生なのに大人としても人間的にも完璧だからです。

 

仮にモンテッソーリ教育を子供に施して万が一我が子が天才になったとしても、あんなに良い子になったりしませんよ。

 

『天才』である部分を見習う前に、彼のとても『良い子』である部分を見習って教育すべきではなかろうか。

 

常識も礼儀も無い天才なんてそれこそ欠陥人間だよ

 

18歳を超えても挨拶の一つもできないような人が天才だとか言われても、一般常識を持っている人は決してその子を尊敬したりしません。

 

だって、常識的なことすらもままならないのに天才なんて言われても、違う意味にしか聞こえませんよ。

「ああ、なるほど。だから天才なのか」って。

 

自主性を重んじるのは結構だが、せめて一般常識くらいは教えるべき。

朝昼晩の挨拶、物事や行動の基本的な正悪、食事や日常生活における最低限のマナー。

 

上記のすべてが当たり前にできて、かつなにかを特筆して行える実力を持った人のみが、世の中では天才と言われて人を惹きつけるんです。

 

親としても我が子が天才である前に、人間的に素晴らしいことの方が余程素敵だと思いませんか?

ご飯をくちゃくちゃ食べたり、人をいじめたりする子供なんて天才とはいえ僕は絶対に嫌ですけどね。

 

一番大事なのはモンテッソーリ教育とかではなく、親と子供自身がどういう性格か

 

子供がどういう人間になるか、こんなのはぶっちゃけた話、教育法以前にその子の親と生まれ持っての子供の性格でほとんどが決まっている。

 

親がろくな奴じゃなければ子供もろくな奴にならない。

だって、常識の無い親に育てられた子供は、結局は同じようにどうしようもない人間になってしまうから。

無理もないんです、親が良かれとそういう育て方をするんですから。

 

逆に、親がいくら良くても子供の性格が歪んでいたらそれこそお手上げ。

『三つ子の魂百まで』、あのことわざって本当ですよ。

 

昔から性格が悪い子は大人になってもずっと一緒なんです。

更生させるだの人は変われるだのとよく言われますけど、そんな人ってこの世にいません。

 

テレビとかで不良が更生しても、過去のことを話すときに笑っているでしょう?

「昔はヤンチャしてました」って。

 

この時点で何も更生していないことの証明です。

ほんとに更生したのであれば、過去にやってしまった自分の罪を嬉々として語ったりしませんから。

 

つまり、更生するのなんてなにも偉いことなんかじゃないんです。

むしろ、はっきり言って無意味な行為。

ほんとに立派で良い子は初めから更生しなければならないほど悪い子になりませんからね。

 

人は悪い方にしか変わらないし、生まれ持っての性格なんてものはどうあがいても矯正することなんて不可能。

 

良識を持った親のすべきことはひとつ、自分の子供に人間としての良識を教えてあげること、これで十分。

モンテッソーリ教育の有無ではなく、天才になるかどうかはどうあがいてもその子次第な気がしません?

 

やる子は放っておいても、ちゃんとやるんですから。

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