成宮寛貴さんのことを批判する人、あなたは本当の悪人を知らないだけだ

成宮寛貴さんの電撃引退に対し、ネットや著名人の間では「逃げた」だの「卑怯」だの「後味がわるい」だの「戦わなくちゃダメ」だのと皆それぞれが好き放題言ってるが、僕は彼があまりにかわいそうでならない。

フライデーに証言や証拠を提供した成宮寛貴さんの友人がまるで英雄扱いされているが、奴のしでかしたことの方が僕は人間として最低だと思う。

報道によると、現在成宮寛貴さんは海外に旅に出てらっしゃるとか。

……どうにか彼が第二の人生をやり直すことができることを願うばかりです。

ここでは法律うんぬんではなく、モラルや人間性の観点から例の事件を切り込んでいきたい。

成宮寛貴さんが芸能界を去ったのは、「逃げた」のではなく、もうなにもかもに絶望したのだろう

成宮寛貴さんが早々に芸能界を引退した気持ちは、僕は個人的ながら痛いほどよくわかる。

信じていたものすべてに裏切られたのだ、自分の今まで生きてきた存在意義を全部否定されたに等しい。

報道がすべて真実であれ、僕は一概に彼を責めるということはどうしてもできない。

法律では確かに彼が悪いかもしれない、でもね、人間って誰だってふと心に隙間が出来てしまうときってあると思う。

そこをあげつらえて彼を悪人扱いし、卑怯者だと罵るのはいかがなものだろうか。

彼の置き土産である世間に残した手紙を読んでみると、文章の端々からすべてを諦めたような、言葉にできない辛さがひしひしと伝わる。

なにかこう、ふとした過去の罪を指摘されて悪人に仕立て上げられたような。

正義の看板を掲げて人を陥れる『いじめ』や『ゆすり』、『恐喝』に近い観念だ。

いじめられる方に問題がある、悪いことをするから悪い、世間の声は大半がこうだろう。

しかし、3つほど問いたい。

「あなたに短所はないのか?」

「あなたは完璧な人間なのか?」

「あなたは悪いことをしたことがないのか?」

いじめというのは、その人の欠点弱点を大仰にあげつらえて起こるものだ。

このせいで、正論をかまされている教師はいじめっ子を怒ることができない。

なぜなら、いじめっ子の言っていることが『正義』だからだ。

ゆすりと恐喝も、これに該当する。

あなたが一度も悪いことをしたことがないと言い切れるのであれば、あなたは自分が悪いことをしたことにすら気づいていないサイコパスだろう。

自分を完璧な人間と思っているのであれば、井の中の蛙、自意識過剰がふさわしい。

はっきり申し上げておこう、この世に正義も悪も被害者も加害者もない。

悪人だと決めつけられれば否が応でも悪人になってしまうし、被害者を装えばそいつは周りから同情される。

黒い正義と白い悪、世の中のふざけた法律のせいで現在は正にこんな風になっている。

成宮寛貴さんの一件も、これに当てはまるのではないだろうか。

彼は悪人の汚名を着せられた善人、ある意味での被害者

つまり、成宮寛貴さんがしたことは確かに法律上許されるものではない、悪いことだ。

でも、彼はきっと悪人なんかじゃないし、周りに責められる筋合いもない。

なぜなら、彼自身そのことを痛いほどよくわかっているはずだから。

この芸能界引退が、言葉にできないその悔しさと悲しみ、苦しみを存分に物語っている。

彼はちゃんと自分と向き合い、すべてを受け止めたと思う。

これ以上彼を責めるのであれば、そいつらこそ悪人だろう。

特に証言を残した友人、あいつは相当な人間だ。

物事を善悪の二つに分けず、ちゃんと考えられる人間が増えてほしい。

最後になりましたが、これだけは覚えていてほしい。

悪いことをした人間は確かに悪い、しかし、それを利用してお金を得ようとする人間はもっと悪だ。ゆすりや恐喝が正義に終わるなんて、どうしても納得できない。

もしこの理屈がわからないのであれば、よく考えてみてほしい。

「人から100万円を奪った人間を脅して300万円を取った人間、どちらが悪いと思いますか?」

後者の人間が悪いと思ったあなた、世の中ではこいつが『正義』と言われるんです。

成宮寛貴さんはきっと前者、証言をした友人は後者だろう。

ほんと、著名人の連中もいい加減こんな簡単なことに気づいてほしい。

他人を責める暇があるなら人の気持ちを理解できるようになれ、以上です。

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