『どんな人間でも親は親』←この言葉、悪いけど言い訳にしか聞こえない

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気持ちは分からないこともない。

実際、僕も恵まれた人生を歩んできたわけではないので。

だが、それでもこの言葉に対して同情や共感はできない。

よくテレビで親に見捨てられた子供のドキュメンタリーでこの言葉を耳にするが、はっきりこう言ってやりたい。

「いい加減その言葉で自分の弱さに言い訳するのはやめろ」と。

以下からは僕なりの意見をつらつらと綴ります、辛口めですので苦手な人はご注意ください。

子供より異性や自分のことを優先する親に『愛情』なんてものは皆無

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いきなり結論で申し訳ないが、実際現実はこういうこと。

親が子供をないがしろにした時点でちゃんとその現実を受け入れるべき。

「私の親はこの世で私より大切なものがあるんだなぁ」と。

ほんとうに良い親というのは、自分の命や人生を捨ててまでも子供を守ってくれるものです。

どんな理由であれ、一度見放されたのであればもう愛情なんてものに期待するのはよしたほうがいい。

『どんな人間でも親は親』、こんな言葉を言っている子は、きっと人に自分の気持ちを伝えるためじゃない。

自分で自分にでそう言い聞かせるためなんだろう。そうやって自分を正当化しないと、避けようのない現実が迫ってきてしまう。

そう、「愛情なんてもらえない」という現実が。

自分や親が最低であることを認めたくない、歪んだ色眼鏡のフィルター

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自分の欠点をを認めたくない、そんな気持ちから人間は生きていくうえで自然と色眼鏡を使います。

なるべく自分の悪い点を見ずに、また、それを他人からはっきり指摘されると自己正当化する。

つまり、ちっぽけな人間特有の防衛本能というやつです。

この色眼鏡は、こう置き換えることもできます。

親が最低であることを認めたくない、だから親を信じるためにあの言葉を使う。

『どんな人間でも親は親』と。

そうすればまた親を信じてあげられる。与えられもしない愛情にしがみついている自分を許してあげられる。

つまり、この心のバリアを理論で解かれそうになると相手を憎むわけですね、この手の人間は。

……僕も同じような境遇で生きてきた人間ですけど、そんな考えたかたにはいきつかなかったなぁ。

愛情が欲しいなら、目を逸らさずに「今の現実」で他から見つけるべきだと思う

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だって、そうするしかないじゃないですか。

空のペットボトルをいくら飲んだって水は出てきませんよね、愛情だって一緒です。

空の愛情にいくら強く願ったって与えてくれるはずがないんです、だって元々ないんですから。

それよりも、僕は今の現実をちゃんと受け止めて新しく探す方がずっと前に進めると思いますよ。

いくら目を逸らしたって、いずれ現実はあなたの前にやってきます。

その時、また言い訳をすれば逃げられるかもしれません。

しかし、時が経つとまたそれが目前に迫ってきます。

避けようがないんです、それが『現実』です。

認めて自分でどうにかするしかないんです、それが『現実』なんです。

理屈では納得できても認められないことがある、当然です。

でも、認めないと先に進めないこともある、これも事実です。

どちらの選択肢を選ぶにしても、自分の人生を棒に振らないことが大切ですね。

ほんと、こんなことで悩まなきゃいけない嫌な世の中です。

今回の話はあくまで僕個人の主観であり、意見ですのであしからず。

あなたの人生を少しでも幸せであることを願って。――FIN

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