あまりに深過ぎる!仮面ライダークウガ43話『現実』を徹底解剖!

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今回は仮面ライダークウガという作品の中でも35話の愛憎と並び、ひときわ異質を放っている謎の回、43話の『現実』を個人的な解釈ながら分析していきたいと思う。

哲学的な倫理も大いに含みますが、なるべく分かりやすくお伝えできるよう簡潔に書いておりますのでどうか最後までお付き合いください。

それではいきましょう。

クウガ謎の回・『現実』のあらすじ

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14歳の少女「実加」ちゃんのフルート発表会へと赴いた一条さん。お土産の饅頭の話で盛り上がる二人。

一条の優しい笑顔に思わず顔を緩める実加。

実加「一条さんもそうやって笑うんですね、なんだか厳しい顔の印象が強かったから」

 

一条「はは、そうかもしれないね」

だが、穏やかな時間はすぐに潰えた。

突如流れてくる幾数人の警察官たち、事件が起こったのだ。

持ち前の正義感から見逃せず、実加に頭を下げて事件現場へと走り出す一条。

その背中を呆然と見やる実加。

一条は犯人を追い、屋上へと向かう。

事件の犯人はグロンギではなく、清掃員に扮したただの人間であった。

警察と犯人の攻防は続き、逃亡した犯人を追ってビルの外へ。

一方その頃、実加の発表会は順調に進み、無事幕を終えた。

一条に手渡された花束とフルートを持ち、ビルの外へと降りてきた実加。

だが、そこには偶然にも犯人と必死に戦う一条の姿が……。

人質を取って恐怖で逃げ惑う犯人を鬼のような形相で追いかける一条。

勝負は一瞬だった。一条の撃った弾が犯人の凶器を弾いたのだ。

関節技を決め、犯人を必死に押さえつける。

その顔に先ほどまでの優しい笑顔の面影は無い。

その現場を一部始終目撃してしまい、フルートを手から落としてしまう実加。

驚いたのだろうか、それとも目の前の光景があまりに信じられなかったのだろうか。

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事件を解決し、穏やか表情を繕って実加の元へと駆け寄る一条。

一条「驚かせちゃったね」

 

実加「………………」

 

一条「実加さん……?」

 

実加「………………」

小さな身体が硬直している、声を出そうにも声が出ない。

うつむき、ただひたすら一条から目を逸らす実加。

バツが悪そうに下を向く一条、だがその時クウガである五代が駆けつけてくれたのだ。

警察官として報告書を書くため、署に戻らなければならない。

実加を五代に任せ、その場を後にする一条。

五代は何も言わず、凍り付いた実加を新幹線へと送り届ける。

すると、実加が口を開いた。

実加「……恐かったんです、すごく」

 

実加「その前に笑った顔の一条さんを見てたから、たぶん余計に……」

 

五代「………そっか」

 

実加「なんか、同じ人じゃないみたいで……」

 

五代「………………」

 

五代「でも、本当の一条さんだよ……」

 

実加「………………」

 

五代「そういう一条さんもいるんだ……恐くて嫌だけど、どうしようもなくいちゃうんだ……」

 

実加「………………」

 

五代「……でもさ、笑った顔も、本当の一条さんだから」

 

実加「…………」

物語は以上で幕を閉じる。

この回の流れで重要なのは次の二つだ。

・今回の一件はグロンギの仕業などではなく人間が起こした事件。

・五代の最後の言葉。

この二つがタイトルの通り、『どうしようもない現実』なのである。

上記に着目しつつ、以下の考察を読んで頂きたい。

一難去ってもまた一難……終わることの無い『現実』

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クウガの世界では未確認生命体と呼ばれるグロンギたちが存在する。

グロンギは犯罪をさもゲームのように楽しむ、いわゆる犯罪を平気で犯す現代の人間なのである。

これに対し大人として人間として、『責務と常識』でそれを抑止する五代や一条さんたち。

しかし今回はあろうことか、グロンギではなく『人間』が犯罪を犯したのだ。

一条さんの同僚は言う

「未確認生命体がいなくなれば、また今日みたいな日が続くな……」

これは終わることの無い良識人と非常識人の『イタチごっこ』と考えられないだろうか。

クウガの世界には「グロンギ」という強大な悪夢が存在する。

この悪夢がはびこるうちは小さな悪夢である「人間」の犯罪者は大人しくしているのである。

これは一種の恐怖による統制といえるだろう。

学校や会社で例えるなら、自分より強い人間がいるうちは他の人間も大人しくしているということ。

しかし、良識人が全員でこの『強大な悪夢』を退治してしまえばどうなるだろう。

果たして社会に平和が訪れるだろうか。

いや、そんなことは無い。

『恐怖』という強大な抑止力から開放された小さな非常識人たちが、今度は良識人たちを痛めつけるはずだ。

自分より強い『恐怖』が無くなり、タガが外れた小さな悪夢が今度は世にはびこるのである。

良識人たちが頑張って『強大な悪夢』を取り除いても、今度はまた新たな『悪夢』が湧き出てくる……そしてまたその『悪夢』を退治しても、今度はそれによって開放された別の『悪夢』が……これが永遠に繰り返される。

これが人間社会の『現実』、つまりタイトルの『現実』なのである。

良識人である一条さんや五代がどれだけ奮闘しようと、この『現実』が終わることは無いのだ。

人間のもうひとつの顔……怒ることでしか解決しない『現実』

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グロンギをご存知の方であれば分かることだが、人間とグロンギという存在はそもそも分かり合うことができないという描写がなされている。

大きく取り上げると次の3つだ。

・そもそも言葉が違う

・価値観が違う

・暴力でしか伝わらない

この3つ、あなたは現実を生きて人と接する上でどれかを感じたことは無いだろうか。

まずはクウガの一条という人物に焦点を当ててみよう。

この一条と言う人物は本編を見ていれば分かるが、本来温和で家族思いなとても優しい青年である。

実際、実加は事件が起こる前は一条と楽しく笑いあっている。

そして一条の笑顔が素敵であることを彼女自身知ってるのだ。

しかし、その笑顔を曇らせてしまう者たちがいる。

そう、『グロンギ』と『犯罪者』だ。

優しい彼に暴力を震わせ、彼を平気で怒らせてしまう奴等がいるのだ。

そしてそういった奴等に対しては、言葉と優しさだけではどうしても伝わらない。

当然である、そもそも価値観が違うのだから。

怒りという『恐怖』と暴力と言う『痛み』を与えない限り、どうしても害を及ぼしてくるのだ。

例えば、いつも笑顔の人物がいたとする。

しかし必ずその人をからかい、バカにする人間が現れる。

その優しさを平気で利用しようとする人間が現れる。

見下し、嘲笑する人間が現れる。

その時、その人がどういった行為で自分がそういうことをされることが嫌だということを伝えればいいだろうか。

言葉では伝わらない、そう、『怒り』と『暴力』の二択しか残されていないのである。

そういった人間がこの世にいる以上、人は優しさだけではどうしても分かり合うことができないのだ。

五代の最後のセリフはそういったことが汲み取れる。

五代「そういう一条さんもいるんだ……恐くて嫌だけど、どうしようもなくいちゃうんだ……」

どれだけ優しい人間であろうと、価値観の違う人間と分かり合うためには『怒り』や『暴力』を振るうしかない。

必ず笑顔を曇らせてくる人間が現れる、笑顔ではいさせてくれない。

それがこの世の『現実』なのである。

いかがだっただろうか。

個々それぞれ何を汲み取るか、解釈は自由であるが僕が感じ取ったテーマは上記の二つだ。

『現実』がこういったものであるゆえ、五代雄介という人物が綺麗事を信じようとするのもこういった倫理へのアンチテーゼとなっているのではないだろうか。

いずれにせよ、このクウガと言う作品の投げかける意味は深い。

皆さんも一度、この回を改めて視聴し、そして考えてみてください。

以上、六代でした。

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