『わんずまざー保育園』園長に対する保護者達の態度に疑問を感じた件

定員以上の園児を受け入れたり、給食40人分を園児たち60人に分けて食べさせたり、悪行が次々と暴露されている『わんずまざー保育園』の一連の事件。

 

本事件の首謀者である園長さんが説明会の際に何度も謝罪しておりましたが、本人の弁によりますとこの期に及んで「認識していなかった」と釈明する始末。

 

保育士たちに無理やりベビーシッターを頼むなど、その魔の手は園児たちだけに留まらず従業員にまで及んでいたようです。

この事実が明るみに出て途端、憤慨し批判する保護者達。

園長の悪事を次々と暴露する保育士たち。

 

ここまでの流れは悪行を働いてしまった人間が受けなければならない当然の処遇と言えるでしょう。

 

しかし、今回の事件は被害者と加害者がはっきりとしているにも関わらず、僕は被害者側である園児の保護者たち態度を見ていると、どうにも懐疑的になってしまった。

特に不快に感じたのは、説明会の時の保護者たちの態度だ。

 

「土下座せぇやこら!」

「ふぜけんなよおい!」

 

うーん、果たしてあれを『被害者側と加害者側=善と悪』だと切り捨ててしまって良いのだろうか……そんな疑問が浮かんだので、今回は僕なりの主張や意見を少々綴ります。

 

被害者だからって何を言っても何をしても許されるわけじゃない

 

僕が最初に思ったのはまずこれ。

ことわっておきますと、僕はわんずまざー保育園の園長を擁護したいわけではありません。

庇うつもりも無ければ、そもそも特段この人に興味もない。

ただ、道徳的なことでいえば話は別だ。

 

まず、いい大人が相手に土下座をするなんて口汚い言葉で命令している時点でどうかと思う。

冷静に話し合う、これはまず大人として当たり前の常識だ。

 

感情のままに動いたり、暴力的な言葉で相手を威圧して攻撃するのは「子供かはたまたバカ」のやることだろう。

被害者だからといって言葉の暴力が許されるわけではない、相手を攻撃したり責めたりするのが正義になるわけではない。

もしこの『立場上の正義の行動』が全て寛容されるような社会であれば、恐喝や脅迫が無くならないのも必然と言える。

 

人間って、正義の立場を持っていればいくらだって残酷なことができるわけです。

そして、それが許されてしまうこの社会。

法律や正義は、理不尽で理屈の通じない奴らにとことん甘いんです。

当たり屋などが多いのもこういったことが支持される傾向にあるからだと思う。

車に当たれば、『被害者側』の印籠を手に入れられるわけですから。

 

例に出すのは誠に失礼ですが、冨田真由さんなど正にこういった社会の代表的な被害者と言える。

正義の法律によって泣き寝入りして自分自身を責めるしかない。

 

わんずまざー保育園の場合は上記のような例とはまた別ですが、これだけは声を大にしてお伝えしたい。

『園児の保護者の方たち、もし大人なのであれば冷静に話し合ってください』

 

自分を正義だと思った時点で自分のやっていることは加害者側となんら変わり無くなってしまうということです。

 

『相手の気持ちを考える』『相手の立場になる』という言葉の意味

 

「親の立場になればわかる」

「他人だからそんなことがいえる」

「実際に自分がやられたら同じことをするだろう?」

 

上記を読んで、きっとこんな風に感じたのではないでしょうか?

 

でも、はっきり言っておきます。

例え僕がわんずまざー保育園の園児たちの親だったとしても、あんなふうに口汚く罵ったりしません。

なぜなら、相手を批判するより先に、親としてまずやるべきことがあるからです。

一つは、『子供に謝ること』、二つ目は『反省』。

 

辛い思いをさせてしまったことを、親として子供に詫びる。

そして、そのことを気づいてあげられなかった自分を戒める。

 

怒りのやり場を全て相手に向けるのではなく、まずは自分自身に向けてみてください。

その時こそが、人間としてひとまわり成長できるまぎれもないチャンスです。

 

『相手を許す』ということは人として本当に立派な人のみができる行為であり、確かに綺麗事だと言われても仕方のないことかもしれません。

ですが、自分を戒めて強くすることは、自分に言い訳さえしなければ誰だって行えることです。

 

理屈や言葉ではどうしようもないことが、悲しいかな現実にはたくさんあります。

何もしてないのにどうして自分だけ……そんな風に思うことだって多々ある。

 

でもだからこそ、自分が被害者側になってしまったときは、相手が謝っているのであれば笑顔で許してあげられる、そんな素敵な人であってほしい。

相手を攻撃するのは、向こうが居直ったときの場合だけ。

被害者という立場は、きっとそういった場合にだけ使う言葉ではないでしょうか。

 

相手の気持ち、立場になるというのは、被害者側はもちろんのこと、加害者側の気持ちも考えてみて、初めて成立する言葉です。

 

結論:自分を被害者や正義と思わない人は、そもそも人を責めたりしない

 

今回の事件は、たしかに『わんずまざー保育園』側が悪いと考えるのが妥当でしょう。

ただ、反省しろなどという言葉は保護者側が使う言葉ではないでしょうね。

 

結局、反省するかしないかを決めるのは、全てを知っている自分自身なんですから。

保護者側は保護者側で、子供に対して反省してあげればそれで良し。

 

あとは、園長自身が決めることです。

保護者側ができることは、せめて園長の矛盾した言い訳を封じて冷静に話し合うことくらい。

 

お互いが相手を責めない・お互いが自分を責める・そして加害者側が謝る……一番理想のカタチですね。

被害者側は被害者の立場を利用しない、加害者側はその立場を認める、これってすごく大切だと思います。

 

もっと相手のことを本当の意味で思いやれる、そんな人が世の中に増えてくださることをただただ願うばかりです。

そうすれば、法律や正義によって泣き寝入りする人も無くなりますしね。

以上、今回の事件で僕が感じた被害者側と加害者側の在り方に対する持論でした。

シェアしてくださると元気が出ます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする