トレーニングでも勉強でも、こうしたブログにおいても途中で投げ出す理由は9割方がこれ、『面倒になったから』
このことから、継続できない理由とは突き詰めてしまえば単純に人間の怠慢さからきているといえるでしょう。
めんどくさい……この言葉を頻繁に使う人に僕が問いかけたいたった一つの疑問。
「あなた、めんどくさがれるほど才能に溢れた人間なんですか?」
今日はこの継続できない人について、僕なりに倫理付けつつ考察したいと思います。
天才でもない凡人に、めんどくさがれる権利は無い
例えば跳び箱15段程度なら平気で飛んでしまう内村選手が、跳び箱12段を飛びなさいと言われて「めんどくさいから嫌だ」と言う。
こういったシチュエーションであれば、めんどくさいという言葉を使っても良いと思います。
ですが、我々のような凡人が12段を飛びなさいと言われたらどうでしょうか。
まず第一にできないし、できるように努力しろといわれても「めんどくさいから嫌だ」と言ってしまうでしょう。
一般人が使っているパターンは大抵の場合後者のほうです。
つまり、できないからやらないわけです。努力するのも億劫なのです。
更にここでもうひとつ問いかけたいのは、あの名言です
凡人が努力しないで、いったい何が残るんだ?
この言葉、正にその通りだと思います。
はっきり言って努力しない凡人なんて何の価値もありません。
だって、何もできないわけですから。
つまり、面倒だと思える権利がある人間は、天才かプロだけ。
「絶対に勝てるからやらない」、「できるから問題ない」
自己満足ではなく、こういったことを実際に行える天才であれば「めんどくさい」でいいでしょう。
しかし、この理屈が通じるのは100人に一人程度の人間。
凡人はめんどくさいなんて言ってしまえばそこで生きている価値は皆無です。
どうです?
そう考えると、すぐにあきらめてしまうほうがなんだか怖くありませんか?
諦めたら自分に何も残らないんですよ?
現実から目を逸らすため、自己満足する愚者
稀に自分を天才だの強いだのと根拠の無い自信を持っている、そんな輩がいます。
そういった奴はすぐに自分を自己正当化しようとします。
自己正当化人間
何もできない理由→「めんどくさいからやらないだけ」
弱いのに鍛えもしない理由→「弱いくらいがちょうどいい」
何事も続けられない理由→「俺に合ってない」
自己満足な自信家人間
何もできない理由→「興味が無いから」
弱いのに鍛えもしない理由→「俺は強いから」
何事も続けられない理由→「もうマスターしたから」
そして、最後にこれだけはいえます。
継続できない、面倒だという人間は突き詰めていくと確実に上記の2パターンどちらかのタイプということです。
継続するということに億劫さでは無く安心を抱き、途中で投げ出すことの方にむしろ恐怖心を抱く……自分の弱さに素直になり、めんどくさがることに危機感を覚えましょう。
そうすれば、どんな人間でも継続し努力することができるようになるはずです。
凡人であることを自覚し、めんどくさがることは自己満足の象徴であることを心に叩き込んでみてください。
以上、六代でした。